「ねじまき少女」のタイ語を考える

パオロ・バチガルピの著作「ねじまき少女」に出てくるタイ語の日本語訳は変じゃないですか?

はじめに

 海外・国内の主要なSF賞を受賞したSF小説「ねじまき少女」の日本語訳を読みました。舞台は近未来のタイの首都バンコクということで、タイに5年間住んでいたブログ管理人としては楽しみにしていたのですが、日本語訳を読んでがっかりしました。タイ語の日本語訳があまりに変だったのです。そこで、「ねじまき少女」で著者が意図して使ったタイ語がどんな意味なのかを調べて書くことにしました。ちなみにこのブログの管理人、Ajarn(アジャーン)はタイのバンコクに3年、地方に2年住んだ経験があり、タイ語の読み書きも勉強してきました(以後、自分自身のことはAjarnと表記します)。

 なお、このブログで「原著」という時はPaolo Bacigalupi 著 The Windup Girl を指し、「日本語訳」というときはハヤカワ文庫「ねじまき少女 上・下」田中一江・金子浩訳 2012年2月15日 五刷 を指します。

 また、”インタビュー”とは、"The Author with the Unpronounceable Name  an Interview with Paolo Bacigalupi  "  http://www.raintaxi.com/online/2010fall/bacigalupi.shtml を指します。またこの”インタビュー”の日本語訳はSFマガジン2011年6月号p56~67、「読めない名前を持つ作家 パオロ・バチガルピ インタビュー」石亀 渉訳 を指します。

 このブログを書くにあたって、「タイ日大辞典 冨田竹二郎編 養徳社刊」 や 「thai-language.com」  http://www.thai-language.com/ などを参考にしました。ブログの内容に間違いがあった場合はブログ管理人、Ajarnにその責があります。書いた内容の信憑性はAjarnの独断で、次の5段階で表しています。

☆☆☆☆☆ ほぼ100%間違いなし。

☆☆☆☆  これで正しいはずです。

☆☆☆   たぶん、正しいと思います。

☆☆    自信はないけど、こうかな?

☆     まったく信憑性はないけど、

                    こんな解釈も面白いかも。

 

 

 

【単語】 ロングテイルボート

 「ねじまき少女」の日本語訳を読んでいると、明らかに「これはあの単語を誤訳しているんだろうな」と思わせる場面に出くわします。「同じ単語を、このページでは正しく訳しているのに別のページでは誤訳をしている」ということもあります。

 今日の話は”long tail boat”「ロングテイルボート」です。タイ語では”เรือหางยาว”といい、バンコクでは運河やチャオプラヤ河の渡し船として使われています。「ルア」”เรือ”は「船」、「ハーン」”หาง”は「尾」、「ヤーオ」”ยาว”は「長い」という意味がそれぞれあるので、「ルアハーンヤーオ」”เรือหางยาว”は「尾の長い船、長尾船」という意味になります。

 原著はまだ半分しか読み進めていませんが、p79の18行目では”long tail boat”、p163の36行目では”longーtail”と出ています。それぞれ、日本語訳上巻p175の12行目に「船尾の長い船」、p357の10行目に「ロングレール・ボート」と訳されています。前者は間違いではありませんが、後者は明らかな誤訳ですね。

 どんな船かはgoogleに”long tail boat”と入れて検索すると画像検索結果がでます。運河の渡し船以外にも、プーケット・ピピ島・クラビなどのリゾートで渡し船として活躍しています。

この記事の信憑性 ☆☆☆☆☆

 

【人物】通産省のアカラット

 だいぶ間が空いてしまいました。今日の話は主要登場人物の一人、通産大臣”Akkarat”についてです。タイ語では”เอกราช”又は”เอกราชย์”と書くと思われます。”เอกราช”の”เอก”は「エーク」と発音されて「第一の、単一の」という意味があり、”ราช”は「ラート、ラーチャ」と発音されて「国王、王座」という意味があります。”เอกราช”の発音は「エーカラート」で、「独立の(国)」という意味です。日本語訳では「アカラット」となっていますが、「エーカラート」が正しい発音です。その理由は、タイ語をアルファベットで表すとき、単語の最初に来る”A”は「エー」という音になるからです。例えば英語の”accident”は日本語式に発音すると「アクシデント」ですが、タイ語式に発音すると「エークシデン」になります。

 Jaidee率いる白シャツ隊の環境省はタイをカロリー企業から守ろうとしている、すなわちタイの独立を守ろうとしているのに対して、カロリー企業にタイを切り売りしようとしている通産大臣の名前が「独立の(国)」というのは、著者ならではの皮肉なのでしょうか?

この記事の信憑性 ☆☆☆

 

 

【単語】 yaba はヤーバー(覚醒剤) 

 今日は小ネタを一つ。原著で何度も出てくる覚せい剤、”yaba”、タイ語では”ยาบ้า”についてです。日本語訳では「ヤーバ」と訳されていますが、正しい発音は「ヤーバー」です。「ヤー」は「薬」、「バー」は「馬鹿・頭の悪い」などの意味があります。「ヤーバー」はアンフェタミン系の覚せい剤で、以前は「ヤーマー」”ยาม้า”と呼ばれていて、ドラッグとしてではなく長距離トラック運転手が運転中に眠らないようにするために飲まれていました。「ヤーマー」の「マー」”ม้า”は「馬」という意味で、「馬のように(休み無く)働ける薬」という意味だと聞いたことがあります(タイ語版のウィキペディアでは、タイでこの薬を最初に販売した会社の商標が「ヤーマー」の名前の由来であると書かれていますが)。「ヤーバー」については、日本語のウィキペディアにも説明があります。

この記事の信憑性 ☆☆☆☆

 

 

 

【飲食】 laab muu と gaeng gai

 今回は The Dung Lord とHock Seng がビルの屋上で話をする場面で出てくる食事です。原著p137,6行目、日本語訳上巻p299、16行目あたりです。出された料理は4種類で、”wide fried U-Tex noodles”が「ユーテックスの平打ち麺焼きそば」、”a crab and green papaya salad”が「カニとグリーンパパイヤのサラダ」、”laab muu”が「ラーブムー」、”gaeng gai”が「ガエンガイ」と訳されています。

 ”wide fried noodles”の麺は、「クイッティオ・センヤイ」”ก๋วยเตี๋ยวเส้นใหญ่”という平らな太い麺を使った焼きそば「パッタイ」”ผัดไทย”だと思われます。「パッタイ」は「センヤイ」よりも少し細い「センレック」”เส้นเล็ก”という麺を使うことも多いです。”a crab and green papaya salad”は少し分からない点もありますが、「ソムタム プー」”ส้มตำปู”かもしれません。グリーンパパイヤのサラダというと「ソムタム」”ส้มตำ”が有名ですが、干しエビの代わりにカニを入れたものが、この「ソムタム・プー」です。”laab muu”は豚ひき肉をタマネギなどと一緒に酸っぱ辛く炒めた「ラープ ムー」です。”muu”は「豚」という意味です。最後の”gaeng gai”の”gaeng”はタイのカレー”แกง”、”gai”は鶏肉”ไก่”なので、「ゲーン ガイ」はチキンカレーのことです。グリーンカレー「ゲーン キアオワーン ガイ」かどうかは分かりません。

この記事の信憑性 ☆☆☆

【飲食】 nam plaa prik は刻んだトウガラシ入りのナンプラー

  今日の話も前回と同じ食事の場面、原著p80,日本語訳上巻p178です。登場する料理は”som tam ”「ソムタム」”ส้มตำ”です。これは千切りにした青いパパイヤと干しエビ、唐辛子、ニンニクなどをすり鉢で和えて、ナムプラー・砂糖などで味付けをするサラダで、タイの東北部(イサーン地方)の代表的な料理の一つです。もう一つ登場するのは、”nam plaa prik”「ナムプラー・プリック」 ”น้ำปลา พริก”という調味料で、ナムプラーに細かくきざんだ青唐辛子を入れたものです。たったそれだけのものですが、チャーハンなどにかけて食べると独特の風味と塩味と辛さが増して、一気に美味しくなります。どんな料理に入れてもタイ料理風になる、便利な調味料です。

 JaideeとKanyaがソムタムの屋台に近づいて行く場面、日本語訳p178,14行目では「どこから拾ってきたのか、テーブルの天板のまんなかに小さなボウル入りのナンプラー・プリックがきちんと置かれている。」と訳されています。原著p80,34行目には”Small bowls of nam plaa prik sit tidily in the centers of the scavenged table planks.”と書かれています。タイの屋台では、食事をするテーブルの中央に調味料のセットや(自由に取って食べられる)野菜が置かれていますが、原著ではその様子を上の文章で表しています。ところが日本語訳では、調味料であるはずのナムプラー・プリックがどこかで拾ってこられたのような表現に変わってしまっています。翻訳者は、ナムプラー・プリックが野菜か何かで、それはどこかで拾ってこられたものだと思ったのでしょうか?そうだとしても、原文の”scavenged”は”table planks”を修飾しているわけですから、「どこからか拾ってきたテーブルの天板のまんなかに、小さなボウルに入ったナンプラー・プリックがきちんと置かれている。」と訳すのが妥当でしょう。

この記事の信憑性 ☆☆☆☆☆

補足:”nam plaa ”の読みで「ナムプラー」と「ナンプラー」が混ざっていますが、本来正しいのは「ナムプラー」の方です。実際の発音では、「ナム」は「namu」ではなく「nam」なので、「ナムプラー」でも「ナンプラー」でも同じようなものですが。

 

【飲食】 snakehead plaa とは

 今日の話は、JaideeとKanyaがSatoを飲みながら食事をする場面の料理です。原著p81,9行目に” Fried snakehead plaa ”という料理が書かれていますが、日本語訳上巻p179,14行目には「スネークヘッドのフライ」と訳されています。まずは” plaa ”。これは「魚」という意味のタイ語”ปลา”で発音は「プラー」(無気音のp)です。タイの調味料、「ナンプラー」” น้ำปลา ”の「プラー」です。ですから、” snakehead plaa ”は”snakehead fish”となり、これはタイワンドジョウ ปลาช่อน ”「プラチョン」を意味します。スネークヘッドのフライ」ではヘビの頭の唐揚げになってしまいますね。この「プラチョン」の料理では、薬味野菜スープで煮た「プラチョン ペサ」” ปลาช่อนแป๊ะซะ ”が有名です。毎度のことですみませんが、googleにこの言葉を入れて検索してみてください。画像検索結果一覧が出てきます。(頭さえ気にならなければ)薬味たっぷりの酸っぱくて美味しいスープです。

 ちなみに、「プラチョン」は俗語で「ペニス」という意味があるそうです。

この記事の信憑性 ☆☆☆☆☆